日本酒を熱く語る

WOWOWに「銘酒誕生物語」という番組がありまして、最新作は「東北の清酒蔵をたずねて」でした。
山形の「十四代」を造った高木さんは、杜氏さんではなく蔵の御曹司です。日本酒業界では、それはとてもセンセーショナルなことだったので、一躍有名になりました。もちろん「十四代」がすごい酒であることが、それを後押ししたのは言うまでもないです。
他にご出演されてたのは、岩手の「南部美人」の久慈さんと、福島の夢心酒造「奈良萬」の東海林さん。高木さんを含め、三人が三人とも、それぞれの理想の日本酒を追い求め、その理想の高さや意気込み、熱さというものは、十分に伝わってきました。どれも大好きなお酒だし、特に「奈良萬」は私の中でかなり上位にランクしているお酒なので、お三方の熱い思いにジンとくるものがありました。

以下、相当な熱さ&長さなので、興味のある方だけ読んでください(笑)
テレビで放送されるレベルの日本酒の番組には、たいして期待はしてないのですが、やっぱり・・・程度の内容でした。この面子だし〜とちょっと期待してしまった自分がいました;
ご出演されていた、日本酒の革命児と呼ばれる方々は、もっと実のあるお話をされていたのかもしれないのですが、いかんせん話を分かりやすく、かつ番組の意向に沿うように編集されて流されてるわけですから、日本酒好きから見ると、「う〜ん」って内容になってしまうんでしょうね。
端麗辛口が絶賛されていた時代に「これはこれで美味しいけど、これだけでは飲み飽きる。もっと芳醇な酒が飲みたい!」と捜し求めてきた私のような者にとって、「十四代」がこんなにも一般に受け入れられるようになったことはありがたいことではありますが、「これが最高の酒である」的なことを言われると、それはそれで納得のいかないものがあります。結局は個人の好みの問題だと思うので・・・
鈴傳」の社長さんが「十四代は、今までにない酒だった」というようなことをおっしゃってました。「鈴傳」さんがおっしゃるんだから、そうか?と一瞬思ってしまいました。いやいや、そうじゃないでしょう;今までにないといえば、どんな酒も同じものはないはずで。でも、旨口のお酒はあったと思います。「十四代」ができたのは15年前で・・・私は比較的その最初頃に口にする機会があって、もちろん美味しいとは思いましたが、私の中で新しいカテゴリーができたということはなかったです。でも、「鈴傳」の社長さんが、こうやってテレビで言ったこと、また雑誌などで取り上げられたことが、これからのスタンダードになっていくのが怖いところです。「十四代が日本酒を変えた」というのは、いまや定説となりつつありますが・・・杜氏でない人が作ったという意味では、日本酒造りの流れを変えたとは思うのですが、日本酒は変わってないと思います;(あ、でも、高木さんは「酒造りの過程においてアミノ酸をコントロールできる」とおっしゃってたので、スゲー!リアルもやしもん♪とは思いました・笑。稀有な存在であることは確かです。本当にすごい人なんです。)
日本酒好きの中には「純米酒しか認めない」という人たちが結構います。この人たちは醸造アルコールの入ったものをすべて「アル添」と蔑み、「三増酒」扱いする傾向にあります。番組中で「かつて、醸造アルコールを添加した三増酒のせいで、ひどい二日酔いになった人たちの日本酒離れ」とか「醸造アルコールや糖類を添加しないと日本酒を造れないような蔵元」といった発言があり、それがまた純米酒至上主義者たちを勢いづかせてしまいそうで、ちょっとブルーになりました。蔵元さんが、自分の求める酒を作るために、ほんの少しアルコールを添加して、すっきり美味しい本醸造酒を造って何がいけないんですか?その醸造アルコール独特のスッキリ感を好む人だっているんです。純米原酒として、十分美味しいお酒を造っておきながら、あえて加水し醸造アルコールをちょっとだけ加えて、ソレはソレでおいしい本醸造を造ってる蔵元さんもあるので、こういった高木さんのお話がその部分だけ捉えられてスタンダードになっていくであろうことに、とっても嫌な感じがします。とはいえ、私が見た番組も編集された結果なので、編集者の恣意的な部分に私が怒りを感じてるだけかもしれませんが。

お三方の座談会の中で「日本酒離れ」について語られていたとき、その大きな原因を「三増酒による悪酔いが日本酒のイメージを悪くしたから」と位置づけ、「日本酒のイメージの改善を図っていく」のが急務といった方向でまとめられていました。それはちょっと違うと思うんです。そういう一面があることも否めませんが、三増酒のダメージを直接受けた人はそう多くなく、イメージでしかないですし、今の若い人たちの日本酒離れはそんなところに起因したものではないはずだからです。
まず、お酒を楽しむ人の数が、圧倒的に減っています。それは確かだと思います。そのなかで日本酒を好む人も相対的に減ってるのですが、私のように焼酎に浮気したりする人もいますから、減少率は高いことでしょう。では減少率が高くなるのはなぜか・・・ということなんですけど。
ひとつには、蒸留酒に比べて度数が低い割には値段が高く、コストパフォーマンスが悪いこと。日本酒好きにとっては、これはある程度仕方ないことだと思ってるんですが、ときどき料理屋さんなんかで、いつ栓を開けたのかもわからず、しかもさして保管状態のよくないものを、高い値段で出されたときには、ものすごく割に合わない気分になります。ワインのようにテイスティングして、状態が悪いとか言えるわけでもないですしね。逆に、若者が最初に日本酒に触れる機会であろう居酒屋などの日本酒は、まさに三増酒のようなものがでてきたりして、安かろう悪かろうになっています。かといって、地酒と称して置かれてるものも保管状態がよくなくて・・・すると、日本酒は美味しくないのに高いと思われてしまうわけで、これではイメージが悪くなるもの当然です。
さらに度数が低いのに、ビールのようにお腹に溜まるわけでもないので、思いのほか飲んでしまい、結果的に自分の許容量を超えて二日酔いになる・・・でもこれは日本酒に限ったことではないですよね?番組では「いい日本酒(純米酒)を飲んでたら悪酔いしません。酔い覚めもいいですよ」とおっしゃってたし、焼酎の蔵元さんなんかも同様のことをよくおっしゃるんだけど、飲みすぎたら同じだと思います(汗)
もうひとつ、良いお酒が、なかなか手に入らないことも問題です。南部美人の久慈さんもおっしゃってましたが、蔵から発送されるまでは、徹底した温度管理振動管理がされていますから、ベストな状態をたもってるわけですが、その手がはなれてしまったら後は野となれ山となれな現状が待ち受けています。日の当たるところに放置しても平気な業者もいますし、宅配業者も信用できないし、飲食店でも安心できない。結局、安心して買える酒屋さんは限られてくるし、よい状態で提供しようと考える蔵元さんは取扱酒店を限定せざるを得なくなります。すると、美味しいお酒は簡単には手に入らないということになってしまいます;この流通に大きな問題を抱えているのは確かでしょう。
また、美味しい状態で飲みたいと思うと、自宅での保管も難しいので、つい自宅では焼酎を飲んだりしてしまいます。味の変化を楽しめるものや、造りがシッカリしていて少々のことでは味が落ちないものならいいのですが、1升瓶を買ってきても飲みきれないこともあり、また口に合うかどうか分からない初めてのお酒を1升瓶で買うのも躊躇することもあります。なので、最近流行りのカップ酒は嬉しい傾向です。できれば、1升瓶と同じような緑や茶色の瓶でキチンと保冷された状態で、純米吟醸大吟醸酒なども売り出してくれたらいいのに・・・と思います(カップ酒に限らず4合瓶の種類が少ないのも不満)。私がよく直販で買ってる蔵元さんのお酒は180mlの小さな純米吟醸があって、割高にはなりますがそれで送ってもらっています。いつでもフレッシュな状態で好きなときに1合だけ飲めるのはとっても魅力的なんです。

着物業界もそうなんですが、日本酒業界も、実情現状を知らないことが多いのではないでしょうか?ウィスキー業界の方とお話しさせていただく機会があったときも、同じようなことを感じました。
造り手、売り手、消費者のそれぞれが感じていることにギャップがある。でも、消費者は決して自分からそれを埋めようとはしないし、埋めることもできないわけですから(と言いつつ、私はちょっと吠えてみたりする・笑)、そこをうまく埋めていく方法があればいいなぁと思っています。
以前お会いした蔵元さんは、一方的にご自身の思いを語られて、それはそれで面白かったのですが、消費者である私たちの意見には耳を傾けられませんでした。この「上から目線」な感じはなんだろう?って思ったのですが、日本酒好きな人は、蔵元さんとか蔵人さんが大好きで(杜氏さんなんか神様みたいな存在で・笑)、それだけでリスペクトしてしまうので、それに慣れてしまってるんだろうなと思いました。
一方で、蔵元さんが集まるような日本酒の会に出かけてお話をさせてもらうと、コチラの情報をできるだけたくさん仕入れて帰ろうという意気込みの見える蔵元さんも多くいらっしゃいます。そうやって、意見交換していくことが大切だし、必要不可欠なことでしょう。反面、そこには日本酒好きや酒好きしか集まってないので、裾野を広げる方法も模索しないといけないだろうと思ったりもします。
大好きな日本酒が衰退していかないように、そして一部のメディアやマニアに踊らされないように、これからもシビアな目でこの文化を見つめていきたいと思います。